2011年7月22日の夜。道端で近寄ってきた野良猫だったから名前はNORA。とりあえず誕生日はレスキューした年の前年の元旦に設定。命日も今から10年後位に設定したいけど現実はいつも厳しい。
2023年4月15日NORA永眠
備忘録として今更のブログ。9年ぶりでブログの使い方ほぼ忘れていたわ。
1月24日に前庭疾患(sindrome vestibular)を発症。血液検査の結果は問題なし。腎臓・肝臓の数値も悪くない。前庭疾患は斜頸や旋回があるから見た目が割とショッキングな症状だけど、実際は数週間で自然治癒する場合が多い。
獣医も私たちもNORAの年齢を考慮して、全身麻酔のMRIで原因を突き止めるよりも、まずはステロイド投薬で様子を見ることにした。実際、症状は落ち着つくも、以前のNORAではなく老化が加速して超のんびりおばあちゃん猫になった感じだった。
それでも食欲はあったし、相棒F氏にいつも通り甘えていた。見守りカメラやWhatsAppを通じて相棒F氏と一緒に穏やかに過ごしているNORAを見ながら安心しつつも、やっぱり不安で日本にいた私は早くスペインへ帰りたかった。
4月13日の夜マドリッド到着。玄関ドアを開けたらNORAが出迎えてくれた。半年ぶりにNORAと再会。ずいぶん痩せていた(実際、去年より1kgも減っていた)。
4月14日の昼 NORAの呼吸がおかしい。すぐにクリニックに連れて行く。エコーの結果、腹部に5cmの腫瘍。容体からして間違いなく悪性腫瘍。1月末に発症した前庭疾患は癌が脳に転移した可能性が大きい。
腹水の他に心臓と肺にも水が溜まっていたので300ml以上抜いてもらう。体重3kgのNORAの体に300ml以上の腹水と胸水。あの呼吸の仕方だと相当苦しかったに違いない。
夜には容体も落ち着き帰宅。2時間絶食した後に夜ご飯。NORAもずっと食事を催促していたから、ご褒美にカリカリ以外にも2種類のウェットフードを用意。でもなぜか食べない。水を飲もうとするけど口が開かない。水面に顔を近づけて、結果、顔がビシャビシャになるだけ。フードにも何度も顔を近づけるけど食べない。
食べたいのに食べられない。諦めてベッドに行くも、すぐまたご飯の場所へ。行ったり来たり。仕方なくシリンジで強制餌食。ちゃんと飲み込む。吐いたりしない。グッタリもしているわけでもなく、呼吸も正常。それでも何かおかしい。いつものNORAではない。
かかりつけクリニックにすぐ電話。入院設備のある24時間対応の救急病院を紹介してもらい、夜中にタクシーで向かう。エコー画像や診断カルテのデータを救急病院の先生に渡して、診察開始。入院決定。先生の表情がちょっと堅い。
前庭疾患を発症した時にMRIをしておけばこんなことにならなかったと何度も思った。ただNORAは数年前にちょっとした手術で全身麻酔をして以来、たまに軽い痙攣を起こしていたので13歳のNORAに全身麻酔は避けたかった。それに手術しても手遅れだったかもしれない。
こんなに容体が悪くなったのがこの2日間ならば、先生の言うとおりNORAをこれ以上苦しませずに、穏やかに逝かせてあげるべきなんだ。でも病院でNORAに再会したら物凄く動揺した。
NORAはちゃんと起き上がっている。もう回復しているように見えた。NORAだってもっと生きたいのかもしれない。もがき苦しんでいるわけじゃないのに、なぜ安楽死させなければならないのか。ひどく混乱した。このまま家に連れて帰ろうとさえ思った。
でも、さっき先生に言われたことを思い出した。一晩中NORAは呼吸困難で苦しんだ。呼吸できないNORAの口をこじ開ける必要もあった。再び溜まった腹水、胸水も抜いた。NORAは小康状態を保っているだけで、もう回復はしないと。
家に連れて帰っても、もうご飯は食べられない。また腹水が溜まり始めて呼吸困難になったら、獣医のいない環境ではそれこそもがき苦しみながら死んでしまうかもしれない。
抱っこされるのが嫌いなNORAが抵抗せずに、おとなしくずっと私の腕の中にいる。やっぱり見た目以上に弱っている。このまま苦しまないうちに逝かせてあげるのがNORAのためなんだね。30分くらいNORAと最期のひと時を過ごし、私に抱っこされたまま獣医さんに安楽死の注射をしてもらった。
※NORAの亡骸写真は載せていません
長期フライト&時差ボケのまま、マドリッドに帰ってきて実質たった1日半でNORAとお別れ。全て夢の中の出来事のようで、頭が現実についていけない。正直、死ぬほど辛い。私が代わってあげたかった。
人間動物問わず、安楽死賛成派だったのに、いざ当事者になると物凄く動揺してしまった。特に、動物は自分の意思で安楽死を選べないから、飼い主に全て委ねられてしまう。
NORAの命を終わらせてしまった事実が私を苦しめる。あの時こうしておけば、もっと早く気づいていれば、と毎日毎日後悔している。それでもやっぱり、穏やかな状態で安楽死させてあげて良かったんだよ、時が来たからNORAは旅立ったんだよ、と自分に言い聞かせている。
大丈夫。いつかこの悲しみは消えてNORAとの楽しい思い出だけを振り返られる日が必ず来る。
Gracias y adiós a NORA. Te quiero mucho mi niña. Que descanses en paz.